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Channel: (株)ニコリ社長 鍜治真起のblog
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ばらまく女性。

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 先日の午前11時頃。都心を突き抜けて東へ走る地下鉄に乗っていた。空いているほう。ドア周りに立っている乗客がいて。私は角の席に座って文庫本を読んでいた。
 駅を出た車内に突然、バラバラバラバラっと音がして、小さい球がバラバラ床に落ち、転がりだした。すわ一大事。源は今の駅で乗ってきた「銀座の美人ママ」ならぬ「40代の美人乗客」のネックレスのヒモ(?)が切れたのだった。
 その女性は何が起こったのか、と、ご自分の紙袋をのぞき込み、ご自分の首にも手を当てて。
 私の対面の老紳士が床にばらまかれた真珠を拾い出した。若者も拾い始めた。
 んっ? その女性、なぜか拾いに行かない。
 電車は揺れて、バラバラバラバラ動き回る。
 瞬間的に私は「彼女が立って他人事の振りをしているのは真珠じゃないな」との判断。 
 私のところまで球たちは転がってこない。が、バラバラはあっちに行ったり、そっちに行ったり。
 次の駅で彼女の周りの客たちが降りていった。球たちは座席の下に寄ってたくさんバラバラ。
 その次の駅で彼女と残りの近くの客たち全員が降りていった。入れ替わりに乗ってきた学生3人連れが「やべ、なんだこれ」とバラバラを見て。
 そのまた次の馬喰横山駅で私が降りるまでバラバラ音がしている。誰も拾わない。何事もないカンジの車内。
 バラバラバラバラはいつまで続くのだろうか。どこまで続くのだろうか。

 今週はおとなしく東京。来週はあっちこっちです。

大声でしゃべる男性。

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 府中競馬正門前駅(京王線)を降りて右に歩き出したら、地面に薄茶色のカマキリがよろよろしていた。彼等は秋に死を迎えるのだったなあ。
 そのまま歩いていくと大国魂神社にぶつかる。最近の休日は七五三参りの人出で賑わうので、子どもたちのやんちゃぶりを見るのが楽しみ。そのあとの競馬場で熱くならないための鎮静剤の役目も果たす。


 先日、ゴルフが終わってニシコクそば屋で宴会。
 「あああ、おやじい、『加賀鳶』の一升瓶」とテラミツ師匠(ゴルフと山の)が大声を張り上げる。
 「キミたちとは全然違うんだから(中略)。男なんてもんは(後略)」と13人の前で90デシベルの大声。みんなそれを知っているので聞き流しながら旨い酒。しかしうるさい。 
 大声では引けを取らない練馬のタロちゃんも笑いながら飲んでいる。もちろん私も。
 宴も進んで料理も半ば。女将が厨房から出てきて言った。
 「あらあ、タロちゃん、カジさん、いたの? 2人の声が聞こえないからいないのかと思ったわ」
 「テラちゃんのでかさにはね。分かるでしょ」と私。
 そしたらテラちゃんが言った。
 「うちはね、京都の山奥のシャッター屋だったの。だから金物を切るのにガガガガガー、キーンってうるさいから家族みんな難聴」とここは60デシベルで。
 「そんでボクは7人兄弟の末っ子だったから、いくらでかい声を出しても誰も聞きやしない。そうすると自然にああああ、おやじい、もう1本、酒」とサイゴは100デシベルに。もう騒音限界だ。
 初めてでかい声でしゃべるクセを聞いた。いい話なのになあ。うるさすぎるよなあ。いかにも。

 わたくしテラちゃんと会う機会が多くなっている。いつ難聴になるのだろうか。


 先週末に、ニコリ事務所1階を、パズルカフェ「ニコリ・ビヨリ」としてオープンしました。気楽にお越しください。
 2日付けの毎日新聞には1面に載ってしまった。4面にまさか私とかみさんのツーショットの写真が載るとは思わなかった。記者の田中さんも大胆なことをする。

ツバキ。

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 過去は過去、ではなくて、「過去は現在」。ああ、昨日は小室山(伊東)の「つばき園」をふらついて楽しかった。と思っているのが今現在。
 つばき園にはなんと千種類、4千本のつばきがあって、今は150種類のつばきが満開です。5月まで楽しめますぞ。4月には黒紅色、暗紫色のつばきが咲くとか。ほおお。

 散策中に驚いたのは「金魚椿」という木があって、葉っぱがまるで「緑色の魚」のカタチをしていたのです。葉っぱの先が魚の尾ひれ状に割れて広がっていたのですよ。
 そんでまた5mくらいの高木が白い花弁をお椀状に咲き誇らせていて、「台湾椿」とネームが付いていた。これってタイサンボクの仲間じゃないの、はおいときましょうね、アウェイなので、咲かせてくれるだけでうれしい。

 京都の紅葉も見せていただけるだけで感謝。こちとら見るだけですからね。

 テニス合宿で伊東に来て、仲間はつばき園ヨコのコートでゲームに励んでいます。私は前日までの連日の棒振りでへたっていたのでした。テニスは重労働、花見の方がラクってな感じ。
 ちょっと待てよ、連日の旨い酒でへたっていたのだったな。失礼しました、訂正。


 明後日はデモの話です。たぶん更新できると思う。誰も信じていないよな。私が信じてないのだから。

デモ。

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 先週末、香港で2カ月にわたり、続いたデモ(スト)が、ネイザン・ロードから撤去された。よくがんばりました、香港人の若い世代よ。いつまでも応援するぞ。君たちに感化されて、台湾の若い世代も同調している。いいことです。
 香港人と中国人はホントに違うからね。


 23才のときに、私は元気に自宅療養中だった。その6カ月の間に、オートバイの免許を取り、アルバイトで左派系の仕事が多い印刷会社にもいた。「校正」と「整理」が主な仕事。
 そんなある日、20万人規模のデモ行進があり、20万枚のビラを急遽、印刷した。B4で片面1色。まるで号外気分。
 私は50行くらいの文章の校正係。刷っている間にも、2万枚単位をクルマでピストン輸送。デモのゴール場所へ。
 その途中、会社に社長から電話がかかってきた。
 「カジ、どこ見てたんだ。サイゴを見てみろ。マツオカズコのサイカイじゃねえか。すぐ刷り直せ」
 私は???
 そのビラを見たら「議事が再会された」になっていた。松尾和子のヒット曲「再会」になっていたわけですね。「再開」じゃなかったわけですね。
 社長発見のときには5万枚くらい、行っちゃってましたかね。

 その会社は、仕事扱いでデモに参加させてくれていた。おにぎり代もくれたような気がする。もちろん私はノンポリ(ノンポリティックス)だったので、雨の日のデモは、会社を出て、映画館のハシゴをしていた。

 そんな時代でした。ま、面白い印刷会社でもありました。


 週末は札幌です。6日の土曜日は、紀伊國屋書店・厚別店で私のパズルパフォーマンスがあります。午後1時から3時間。お近くの方も遠くの方もよかったらどうぞ。
 6日はニコリ事務所1階の「ニコリ・ビヨリ」で、早解き大会(?)のイベントもありますよ。こちらにもわさわさお越しください。 

東西南北。

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 東にカジあれば、消せ、と消防団は大忙し。
 西にマキあれば、くれ、とカジマキは「できればクヌギ、ナラ、シイが欲しいの」と大忙しの冬になりました。

 東西で大活躍だった錦織圭(テニス)は、胸にユニクロのマーク。
 ニシコリの名前には「西」があり、「ニコリ」がある。あ、それだけです。


 神田神保町には2週間に一度のペースでふらふら。ここは日本一の古書街です。阪急梅田駅の奥にもディープな古書店街がある。好きです。
 さて、東京の話。靖国通りが東西にわたっていて、その南側にほとんどの古書店が並んでいる。北側には数軒のみ。その理由は?
 南側に陣取ると、店頭は北を向くので、本たちが日に焼けないのですね。あ、それだけです。


 「東南西北」という並べ方もあります。「健康麻雀」(シルバー向け用語 カジ語ではありません)では、時計と反対に回っていくのね、方角はそうなっちゃうのね、とルール説明から質問攻めになります。
 そんなこんなで先日、2年ぶりくらいに気のあった仲間と新宿で卓を囲んだ。久しぶりなので、ピーナッツの個数と価値とルールを確認し、夜の11時を回ったら次の「回」にはいかないよ、OK。
 そこでなんとわたくし、リーチ、一発、ツモ、メンホン、サンアンコウ、ドラ7という数え役万をでかしたのだった。もちろん、一人浮き。エッヘン。
 今でもあの「サンピン」の感触が親指に残っている。次回が待ち遠しいなあ。


 今週末は棒振りと、講演と、めでたいイベント(プライベート)をさらりとこなすために、明日、期日前投票に行ってきます。

長屋。

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 先週末は南青山「nagaya」(シェア・オフィス形態の場)のみなさんにパズルパフォーマンスができてうれしかった。なんだか新鮮な気分にもなり。企画してくれた代表の広瀬さんとは長い知り合い。ありがと。
 シェアルーム・オフィスは日本でもNYでも進化している現在。広瀬さんの言う「長屋」コンセプトは面白い。
 「nagaya」2周年記念パーティに呼ばれて、70分くらい、いつもの無駄話をしてしまったのでした。
 新鮮だったのは若い起業家がほとんど(100人規模)で、パズルファンとはまったく違う熱気を感じたこと。これからのニッポン、捨てたもんじゃないぞ。昨日の選挙地図ががらり塗りかえられる時代も遠くないよ。


 札幌で生まれた私は、生後100日で成城学園(東京)の長屋に引っ越してきた。電電公社の社員寮が長屋であった。4才までそこで過ごした。醤油からなにから共有気分。誰かさんの愛犬ルイも共有気分。塀もなし、鍵もかけず、カーテンもなかった気がする。夏は暑すぎて、冬は寒すぎた。
 4才のとき、親父は国際電電に移っていたので、練馬区豊玉の社宅に引っ越した。高校までそこに住む。


 私はいま、隙だらけ、脇を甘くすることで動いている。ラクなのです。長屋はホントに「隙間」だらけだった。いっときでも長屋に住んでよかった。
 広瀬さんのポリシーは、今の時代にとても必要なこと。不動産に商業施設とはまったく違う「ソフト」が入っている。
 ソフトとは何か。ヒトです。
 面白い。


 今週は木曜日がピーク。ランチミーティングが都心であって、夕方に調布で対談(講演?)があって、夜は朋友の会社の楽しい懇親会です。

電車図書館。

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 先日、上京してきたヤマちゃんと赤坂で待ち合わせて、大手町、日本橋、蔵前まで地下鉄を乗り継いでニコリ事務所まで来たことがあった。快晴の午後3時頃だった。
 ヤマちゃんが言った。
 「おい、どの電車にも人が乗ってたなあ」
 そのときはその感想に、何を頓珍漢なことを吐くのか、と思っていたが、そのあと札幌に行って、気づいた。
 札幌は歩きやすいなあ、適正人口っぽいなあ、と。
 東京は人口が過密すぎるのではないか。自動車が多すぎるのではないか。電車のホームドアも単なる対処療法なのではないか、と。

 ヤマちゃんは京都の伏見に住んでいて、年に1回のペースでの上京が20年くらい続いているか。
 伏見も中書島からのんびり歩き、寺田屋を見て、彼と昼飯をとり、ほろ酔い気分でまたふらふら散策し、楽しかった。小川には鯉もいて、いい気分。まだ開いていないスナックだらけの小路を迷えば、昭和の店名ばかりで、タイムスリップ状態。いいなあ。今度は夜にさまようぞ、ハシゴするぞ。


 思いつきで別な話。
 点子ちゃんが新小岩(総武線)の飲み屋で言った。
 「なにかさあ、最近また電車の中で本を読んでいる人、多くない?」
 ポン。
 実は私もそう思っていたところだった。5年くらい前にほとんど見かけなくなった「電車読み」が最近増えている気がするのだ。
 「そうそう、それさあ、時代小説の人気と関係あるんじゃないの」と私。
 「そうなの? それよりさっき買った新書、これ面白いらしいよ(後略)」と点子。

 点子ちゃんは自宅を設計してくれた建築家。まあ話がばらばら飛んで面白い。私と一緒か。


 また別な話。
 新潮文庫がスピンを付けなくなる、というニュースはどこで聞いたのだったか。夢で出てきたのかなあ。
 スピンというのは、紐のしおりのことです。

 そんなこんなで数年前から電車内で本を読んでいる人をウォッチングしているわたくしです。
 先週の午後、飯田橋駅(中央総武線)から乗ってきた女性が、すぐ座って本を読み始めた。ブックカバーを外した本の表紙はオレンジ色だった。
 (何の本かなあ。本の内容と人の容体を対比するのが楽しいのです)
 本のタイトルは分からない。斜め前に立っている私。
 と、めくっっている本の間に赤い落ち葉が一葉、挟まっているではないか。
 へええ。
 しおりにしているのだった。
 そのあと全日、いい気分になり、旨い酒を飲んだのだった。

しめ縄。

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 年が暮れ、年が明ける。冬晴れです。
 先日、生まれて初めてしめ縄をつくった。わらを木槌でなめし、7本ずつ束ねて、縒りながら編んでいく。面白いじゃないか。うまくできたぞ、2尺のしめ縄。と、オツジ師匠(しめなわづくりの)のと比べたら、まあ私の作品(?)の貧相なこと。すぐにほつれそう。ま、いっか。
 そんで、イエに持って帰って、リースにして、松飾りにする。
 アクセサリーは、鶴の飾り物と、イイギリのオレンジの実、モミの青い葉っぱ、稲穂たくさん、ミカンだ。それらを、しめ縄を丸くしたリースにくっつけていく。
 うーむ、イメージがわかない。かみさんがあきれて笑っている。チキショー。

 昨日は競輪グランプリ。40才の武田豊樹と心中、のつもりが46才の競輪界の至宝、神山雄一郎から入って(買って)アウト。しかし神山さんが武田の優勝をアシストしたので、外れても満足。いいレースだった。

 そんな昨日の朝、京都にいる馬の助(まのすけ 石神井高校の後輩)から電話がかかってきた。
 「今日の岸和田競輪場のグランプリ、来ているんでしょ。今晩、京都ですごい人が来る忘年会があるんで来てくださいよ」
 「今東京。松飾りをつくっているんだよ」
 「なんですか、なにそんなことしてるんですか」
 「いいの、人格変えてるんだから」
 「ダメですよ、来てくださいよ」
 「じゃあね、良いお年を」でガチャン。


 みなさま、今年もお世話になりました。来年が良い年でありますように。

ユキちゃん。

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 今年はどんな年になるのでしょう。
 「答えは雪に聞け」
 いいなあ。JR SKISKIのユキちゃんが帰ってきた。
 去年は「ぜんぶユキのせいだ」と言っている男に少なからずのジェラシーを抱いたものだったが、そうか、あのあと妙高高原スキー場で一悶着あったようだな。そんで答えはユキに聞け、と。

 ユキちゃん、ごめんね。これからニコリの新年会なので、答えは明日聞くからね。久しぶりの120人規模だ。粗相のないように、口数を減らそうっと。

懐かしい。

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 お湯がすぐ水になるイエの中。冬。これでも昔より暖かいのに。
 ここ10日間で数百人の方とお会いして、時間の長さと短さが同時に感じられて、「時間共有」は、その話しているとき「一瞬」だけなんですね。

 だからコンサートに行って、「あああ、ミック・ジャガーといま一緒に同じ空気を吸っているんだあ、もうダメ、オレ、胸かきむしっちゃう」と、囲い込みのエクスタシー。非日常空間は非日常時間にもなり。

 20年前に秋葉原で一瞬、お会いしただけの平野さんと「ニコリ・ビヨリ」で再会し、覚えていてくれて感無量。彼(72才)のスーパーマンぶりは相変わらずで、イベントも超満員だった。

 10年以上前、ある方のお別れ会(茅ヶ崎)でお会いして以来の高島さん(76才)も変わらずダンディで、パズルのネタがハンパじゃなく多い。私なんざゴミのネタ。まったく世界は広い。また鼻をへし折られたカンジ。

 今週末は年初恒例の、いちばん楽しみな作家新年会。これも100人規模。年々、ゆるやかに新陳代謝していることが対面なことで分かる。またしゃべりすぎてしまおう。

なわとび。

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 いい天気です。冬晴れで雲一つない。昨夜は月の明かりにオリオン座も負けじとピッカピカだったので、今朝の快晴が予想された。
 ここ蔵前のニコリ事務所からすぐ、80ヤード北へ行った左側に蔵前小学校がある。今朝は校庭に100人くらいが集まって「なわとび」をやっていた。各人が前跳びでどのくらい(時間)できるか。先生は3分がんばりましょう、でスタート。
 「10 20 30秒」と先生がタイムを言う。
 30秒の間に半数の子どもたちがひっかかって、その場に座っていく。1分経過で続けている子どもは20人を切っている。2分現在で6人くらい。いいぞ、ヒーロー、ヒロインになれ。


 私の高校時代。石神井高校の体育は冬に「なわとび」があった。毎週1回のそれは本格的であった。
 他人のことは忘れたが、私はビニールの「なわ」に、取っ手は竹の細いヤツ。竹の穴にビニールをいれて結ぶ。擦れるところにはロウを塗り。なるべく「なわ」は短くして、背中を丸めるようにして跳ぶ。まあ、ハマった。負けじ魂、もりもり。

 二重跳びは数百回できた。三重跳びは50回近くできた。四重跳びは6回できた。えっへん、であった。それもこれも私の上をいく奴がいたからだろう。
 はやぶさ、紫電改など、テキトーな名前を付けて、交差二重跳びをン十回やったり、「後ろはやぶさ」で自慢し合ったり。

 サイゴは「なわ」の頂点(地面に触れる位置)にコイルを巻いたりして、いかに差をつけるかを競い合った。

 まったく、前世の記憶ですね。今はカラダが重い、膝がやられる、どこの節々も痛い。二重跳びなどとてもとても。小学生よ、ムリをしなくてもいいぞ、と優しすぎる気分。

 フィラデルフィアの矢口さん、その年でハマった「なわとび」ムリせぬように。あ、矢口さんはNYブルックリンの「ORIGAMI STUDIO」の社長でありました。

普通電車。

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 ミツマタの天麩羅にしたいような、黄色と白のふっくらした花が咲いて春間近。
 ツグミが北の国に帰っていった。ツグミは地面が好きで、いつも足早にちょこちょこ歩いては立ち止まり、背筋をピンと立てて周りをキョロキョロ。この仁王立ちがなんともいえず、かわいい。彼等は向こうへ渡るとロシア語を使うのだろうか。

 毎年、雪景色を見るために、スキー仲間のスケジュールに合わせて同行する。先日は妙高高原に滑りに(飲みに)行ってきた。
 チマタでは北陸新幹線が3月14日に開通するとのこと。ふーむ。ってんで、それならと、長野から普通電車で、妙高は途中下車。そのあと直江津、富山、高山(途中下車)金沢、敦賀、近江塩津(途中下車)、米原の旅をしたのだった。
 どこを走っていても普通電車からの外の景色はサイコーで、とても本は読む気になれない。
 その前後に乗った新幹線からは景色を見る気になれず、読書がはかどったこと。

 二本木駅とかのスイッチバック、直江津駅での接続遅れ(の処理)、米原駅での車両連結を生で見ると、運転手さんの仕事って緊張感があって楽しそうだなあ、と羨ましくなった。道中の車内でのビールがうまかった。どこかで車掌さんが「現在、トイレットペーパーは品切れですのでご了承ください」という車内放送に少し緊張した。

 はやくあったかくなあれ。

過ぎゆく日々。

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 あらま、今月は今週でおしまいかい。尻切れトンボのような。来月もまた今月と同じ「日」が同じ「曜日」になるのだな。

 今月の6日は、近所の蔵前小学校で、ニコリがコマをいただいたのだった。6年生の2クラス。40人弱で2回。テーマは「クロスワードをつくろう」。
 私は最初に「これは授業ではありません。遊びの時間ですので、どうぞ気楽に」とやってしまったが、そんとき教育委員会の方々がいて、言わん方がよかったかな、と一瞬思った。子どもたちはみな、初めてクロスワードをつくり、まあどれもエレガントなヒントだったこと。
 クロスワードはヒントが命。彼等のセンスに脱帽。

 今月の18日は、調布市役所の職員の方々に「我が良きニコリ人生」というテーマで、60分以上もしゃべってしまった。長友市長とは飲み仲間。プライベートな話中心で、と言われてもなあ。酒飲み話のムードで終わってしまったようで失礼しました、70人の方よ、と一瞬思った。アルバイト時代の話をしていると、走馬燈のようにあの頃の景色が浮かんできて、ああホントにとりとめなく過ぎてしまった。

 毎週いろんなイベントがあるのはありがたいことです。ある会のN池女史からは「それでいいのです、カジさんは。ビバ!二日酔い」と励まされ、今も迎え酒がほしい。


 今朝起きたらポピーが破裂したように花を咲かせていた。昨日の夜までつぼみだったのに。濁っている自分の目を恥じた。

防御本能。

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 先日のゴルフの昼飯で。スーさん(79才)が座りながら落ちつかなくなった。所持品の調べ物ムード。
 「うーん、あれっ、どしたかなあ」
 「ないんですか」と私。
 「うーん、もう一つの眼鏡がね。カートにおいてきたのかなあ。あ、この上着のポケットだね。ないや。うーん、どしたかなあ」
 「先輩、防御本能ですよ。大事な物は知らずにもうしまってあるんですって」
 「いや、だからこの大事なバッグにね、しまったと思ったらないんでね。あああ、ごめん、あった、ありましたあ、ありがとう。でもここにいれたかなあ。でも入ってるんだもんね。そこを覚えていないんだよ、まったくやだねえ」

 同じことが先日のスキー場(妙高高原)でもあったので、私は「防御本能」を知ったのだった。
 旅館の大部屋で、怪人ヤマモト(70才)が檻の中のシロクマのように、うろうろ探し物をしていた。そのときにテラミツ師匠(69才)が言った。
 「ヤマモトさん、防御本能。ザックをもう一度調べてごらん。あるから」
 「そんなことお前に言われなくてもなあ。ザックだろ。これにないから探してるんだよ。あ、出てきた」
 「ほら、だからもうろくとか、アルツハイマーとか言われて(後略)」と鬼の首をとったようなテラミツ節。

 翌日、またヤマモトさんは「オレの赤いカッターシャツ、どこいったか知らないか」と動物園のシロクマ状態。これは結局そのときは見つからなかった。帰ったら旅館の女将から宅配便で届けられたらしい。どこに忘れてきたのか、「怪人」の由縁である。

 今週も先輩方、寒暖と階段に気をつけて。

ぞうにそば。

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 春の鳴動を擬音語にするとどうなるんでしょうね。みしみし、きゅっきゅっ、ぽんぱら、ぬくぬめ、しゃらぽわ(テニスか)等々。そんなんでアタマも浮かれています。
 
 東京飯田橋のそば屋で「ぞうにそばください」と言ったら「うちにはありません」と言われてしまった。
 先日、ヒゲモジャのトシキとそこで昼飯を食い、彼は納豆蕎麦(温)で、私はビールと煮込み。100年以上続いている老舗のそば屋で、彼は常連、私は3年ぶりくらいだったか。競馬で負けた話ばかりをしたのだった。
 後日、そういえば「ぞうにそば」ってメニューをどこかで見たよなあ、あれって「力そば」と違うのかなあ、老舗のメニューっぽいから飯田橋で見たのかも、と再び出向いたら失礼しました、違っていた。
 春は思い出せない。
 そんで3日後に思い出した。そのそば屋は高岡(富山)だったよ。
 行ってくるか。
 そんなヒマな時代は終わりました。

始まり、終わり、引き続き。

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 来週いっぱいで「ニコリ・ビヨリ」を締めます。今週から商品のバーゲンセールを始めました。この機会にどうぞ。私が惚れているあのパズルも、私が3カ月かかってやっと解けたあの素晴らしいパズルも、私が外国に必ず持っていって大受けするパズルも、すべてディスカウントですよ。
 まあ面白かったニコリ・ビヨリ。
 (まだやっていますよ)

 先週は毎日新聞社(東西線竹橋駅)のイベント、「クロスワードで遊ぼう」でスピーチとサイン会をしてきた。サイゴの質疑応答で、
 「ニコリさんのクオリティにはずっと感心しているのですが、パズルのクオリティについてカジさんはどうお考えですか」と男性が。
 いい質問なので、フツーにお答えした。
 そのあとのサイン会で、彼がニコリ本を持って並んでくれた。
 「創刊準備号から買っていました。町田の事務所も行ってました石井と申します」
 「えっえっ、ちょっと待ってよ、あのお、あのお」
 みるみる思い出されてくる、あああ、いたよ、石井君、中学生、明るい少年。対面で年を聞いたら47才だと。おおう、面影がどこかに。
 「今なにしてんの。今度飲もう」
 「ぜひ」

 推定50代の女性にもニコリ本にサインして。
 「もう25年になります、買い続けて。1カ所、クロスワードのヒントが分からなくて、そしたら答えが素晴らしくって、感動して、それからです」
 「ありがとうございます」
 照れる。たった一つのヒントで25年もおつきあいできるとは、こちらが恐縮してしまう。私がいい話を聞いてしまった。

 流し流され生きてゆく。ああグデングデン。

春は曙橋。

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 歳々年々花同じ風貌と気高い香りで変わらず。
 年々歳々ヒト変わり、いなくなったり。
 とかくに春は、山もヒトも忙しい。
 陽気につられて浮かれてしまい、鳥もヒトもしゃべりすぎ、どこでも眠れる。

 武蔵野の森は、若葉がピッカピカ。
 その中にヤナギは、一際目立つ黄緑色。まるで森の上から滝が流れているような。

 昨日の昼。乗降客がホントにまばらな曙橋駅(都営新宿線)の改札口内でケータイが鳴った。出て一件落着。切った瞬間にまたケータイが鳴った。出てセイウチ師匠と待ち合わせの話。終わった。フツーに改札口を出ようとしたら、赤信号。スイカの異常。あれってんで、駅員の改札口でスイカを出したら、「あのお、1番線はあっち、2番線はこっちです」と若い駅員に言われた。
 「ハアッ?」と不満そうなわたくし。意味が分からない。
 「あのお、いま改札を入ったんですよね。どちらへ行かれるんですか」
 「あああ、そうだあ、いま中に入ったんだよね。出ちゃダメだよね。ゴメン、サンキュー」
 構内が意外に広い曙橋駅だ。歩きながら電話をしていたので、違う改札口に行き、構内か構外か分からなくなったのでした。
 春のせいにしようか、駅のでかさにしようか、電話の相手のせいにしようか、決めかねている私であった。決して自分のせいにはしないのであった。


 転機をお迎えのみなさま、他人としゃべりましょう。駅員でもOKですよ。

黄色。

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 野川(国分寺から二子多摩川)の桜(武蔵野市場付近)が満開(ということは五分咲き)のその下、土手に菜の花がすくすくと育ち、今年の菜の花はショッキングイエローにも見える。と、野川に架かる橋の上をスズキ・スイフト1600CCがこれまたチャンピオンイエローの派手さ加減で通りすぎていった。黄色はいいなあ、と思った。

 3月の始めから黄色い花の野草は、マンサク、トサミズキ、ヒュウガミズキと続き、高木ではサンシュユが薄黄色の地味な花を咲かせていき、菜の花までたどりつく。

 このあとオムライスでも食べにいこうか。今週末の競馬などのギャンブルは黄色い帽子の5枠から買おうか。そういえば黄色い衣服は持ってないなあ。どういうことなんだろう。 先週のゴルフで一緒に回ったタケさん(50代男 炭水化物ダイエット中)は、「ジャイアンツファンなので」上着も、帽子も、ドライバー(クラブ)のヘッドも、シャフトもオレンジにしていたっけ。ふーむ。

 それぞれの花は理由があって、その色にしているのだろうか。うーむ。
 おしまい。「おしまい」の色って「黒」だろうか。うーむ。
 やめ。「やめ」っていうと、その色は「赤」っぽいな。

挨拶。

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 ある晴れた平日の昼間。中央快速線の東京行き車内で。私は座って読書状態。目の前に立っている女性は、手作りにも見えるキルト生地のコートが似合う、一見、小劇団の女優。スマホを動かし、荷物たくさん、床に置き。
 その女性、東京駅一つ手前の神田駅で降りるとき、大きな荷物が私の足に倒れてきて、素早く手と肩にまとめた。立ち去る瞬間、「ごめんなさい、でした」と私に深々と頭を下げて降りていった。
 「でした」をつけた挨拶(?)は生まれて初めて聞いた。面白いなあ、と思ったが、この挨拶、いまどき流行っているの?

 そのあと、春休みで混んでいる東京駅のコンコースで、年輩の着物姿の女性2人が「それでは、ごめんください」「お気をつけてね」と両方向に散っていった。
 「ごめんください」という挨拶も何年ぶりかに聞いたのだった。
 最初に「こんにちわ」ではなく、「ごめんください」も久しく聞いていない。
 玄関にチャイムが浸透したので、がらっとドアを開けて「ごめんください」形式がなくなったのだろうか。
 そんでまた、別れるときの「ごめんください」も聞かなくなった私である。京都なら毎日聞かれるのだろうか。

 アメリカでは最初は「ナイス・トゥ・ミーチュウ」。別れるときも同じ「ナイス・トゥ・ミーチュウ」だ。

 明後日、スペインでお世話になったホセ・アンヘルさんが来日。楽しみだ。
 挨拶は昼飯前は「ブエノス・ディアス」。昼飯を食べたあとは「ブエノス・タルデス」。晩飯のときは「ブエノス・ノーチェス」と、ウソ覚えかも知れぬカジです。
 そうだそうだ、「オーラ」があった。こいつが万能の挨拶だったよ。ホセさんとは気心知れているからこれでいこ。オーラでハグして旧交を温め、オーラでハグして別れることにしよう。

 では、ごめんください。

熱海。

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 「いろいろあった」の7文字が好きな私である。先週も御殿場に行き、熱海に泊まり、クロシ(29才 熱海在住)おすすめの小料理屋、スナック、キャバクラとハシゴした。
彼が「顔」なので、どこも料金が安くて良かった。
 1軒目では千円の刺身盛り合わせが食べきれないくらいの量。
 2軒目のスナックでは静岡新聞の方と名刺交換。
 3軒目のキャバクラでは「すうどく? あ、あの、言っていいですか、私、数独ですよね。チョーハマって、友だちと作ろうとしたんですけど、ダメでした。いやああ、やだあ、作り方教えてください。わああ、びっくり。えっと、ニコリさんですよね。ホントですか。あの、あの、どうやって(後略)」と付いた女の子24才が。
 最初にクロシが軽く「この人は東京から来てね。ずっとお世話になった人。すうどくって知ってる」と、ジャブのように軽く言ったのが良かったのか、悪かったのか。
 こんな展開、初めて。
 フツーは昼間に仕事の話が続き、夜は仕事抜きでリラックス。気もゆるみ、単なるスケベ男で終わるのだが、この日はまったくの逆パターン。いきなり不意を突かれて、酔いが醒めていったのだった。
 「マッキーさん、延長しますか。オレはどこまでもつきあいますよ」とクロシ。
 「いや、明日はやいから行こう」と私。
 世の中、濃い話をするんだったら、場所と時間がね。心の準備がね。

 男は一旦、外に出たら七人の敵がいると思え、というが、まさか8人目に味方がいるとは思わなかった。
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